レッスン日記

今日の日記

なにげない会話

合唱の歌の練習をしよう、と、生徒さんと「小さな世界」をうたったとき

 

いや〜これはなぁ〜「世界はひろい」って言って欲しかったな〜と生徒さん。

 

なんで?世界はせまいじゃない?

 

いや〜宇宙の先とか4次元とかも考えて欲しかったな〜

 

なるほど〜この個体(地球)?を飛び越えての世界ね、たしかに〜!!

どこまでつづくかわかんないもんね

 

いや〜先生はさぁドラマが好きで、そのドラマの内容が地球とか時空超えていくんだよね〜

(イギリスドラマのドクターフー)わかるわぁ。。たしかにひろいわ〜

 

みたいな話から、、

異次元を超えてく気持ちで弾いてもいいんじゃない?とか話しつつ

 

なんかさ、今日はさ、間違えないで弾こうっておもうと、弾けたけど、気持ちをこめたら間違えちゃったんだよね、でもね、気持ちを込めるって気持ちいいなって思ったよ。。。。

とかそんな話まで発展して。

 

そうだね、間違えないで弾きたいし、間違えないで弾くべきとして練習するしね、

でもそれが全てじゃないからね。

 

なんかすこしわかった気がするよ。

 

なんて会話にまで。

 

そういえば、音高時代、寮生活の中、友達と深夜まで宇宙の話をして終わりなき会話をしていた時があったな、なんて思い出し。

 

いろいろ感じたこと、とかそう誰しも簡単に言葉にできることではない。

でもいつも疑問を投げかけ、考えることを訓練していくというか経験していく。

誰かの考えではなく、誰かの意見ではなく、もし思ったことが誰かの意見だったかもしれないけれど、自分の考えとしてそう思ったなら、自分でも言ってみる。

 

最初からなんでも浮かんでくる人ばかりでもなく、見たり、聞いたり、感じたり、何気なく通り過ぎてしまうことも、自分でなにか思えるゆとりさえも感じることなく心を閉ざしてしまうこともある。

答えは一つではないし、答えなんかみつからないことも多い

 

でも、その中で、なにかを見つけていく。

発見はおもしろい。

 

思うことも、考えることも、ほんとはいっぱいあるのに、いうのがめんどくさくなったり、間違えを気にしていえなくなってしまったり、自分を隠してしまうこともあると思う。

 

心を開いて子どもたちにまっすぐ踏み込んでいくわたしだけれど、それも勇気がいる。

 

なぜなんだろう、っておもう。

 

曲を仕上げていく中、ピアノの音色は正直

 

だから、やっぱりピアノを弾くってすごいな、って

 

超無口な生徒さん、一言も喋ららないに近いけど、今日の演奏は先週と大違い。

なんかわかったんだな、、自分の中に。そういう音になっていた。

身体から出てくるエネルギーも違う。本人は、短い音とか気をつけたと、言っていたけど、その音には躍動感を感じ、表現がついていた。力の加減がばらついて音が全部出ないでいた和音はきれいに、曲を変えたほうがいいのではないか、と打診したくらいだったので、、これはそうとう意識して練習しないと1週間でここまでならないだろうな、、。この1週間はなにがあったんだろう、、この曲を弾きたい、その気持ちが大きかったことは間違いない。

 

こんなに変わるんだな、、

 

自分が思わないと、なかなか変わらない。

 

ずっと音をミスしていても、自分で変だと気づかないと、言ってもなかなかなおらない

でも自分で気づいてなおそうって思ったことは、自分のものになっていく。

 

ピアノに限らないことだろうなって思う