合唱の伴奏はやってみたいとき、挑戦してみたい時、はとりあえず挑戦してみよう、と小学生には話しています。
選ばれなくても練習した時間、意味がなかった、ということは決してありません。やってみたい気持ちに絶対がついても、ダメだったってこともあります。でも、いいと思うんです。
やろうとした気持ち、頑張った自分はいるわけですし、だからもうだめ、ではなく、これからがあるし、なにより弾けたら楽しいし。やってみて難しいと思えばまたいつかできるよう今を頑張っていけばよいし、やりたいと思ってはじめたけど、なんかつまんないと思えば今がその時じゃないわけだし。
選ばれた、選ばれなかった、ということより、本人がやってみたいかも、そう思った気持ちと、なら、もう一歩勇気を出して、やってみよう、ということはピアノをやっていてそのタイミングだと
と思うので、結果をあれこれ思うよりまずやってみたらよいと思います。
なので、迷ってる子にはやってみたいなら挑戦してみたら?と言ってます。ただ、発表会前とかでまだ自分の曲が仕上がってない時など、今の状況などもありのままを伝えていたりはします。その上でやるやらないは、本人が決め、やるなら全力で応援します。
自分でやりたいと思うと普段より頑張るんで、急にグーンと譜読みができるようになったり根性がついたりするのでこれをきっかけにすごく伸びることがたくさんあるのです。
うちの教室の子たちにとって、普段練習してる曲より絶対難しいので、がんばらないとできないので。
なので、やるとなると、やはりお家の方の応援は必要になります。ピアノを練習しやすい環境をつくっていただかないと、短期間で挑戦するには小学生にはまだ難しいです。
諦めるのは簡単で、諦めたくなる気持ちになることをわかって、の応援はお家の方の声かけで魔法がかかります。
自分でやりたいことの光る石はなんども輝きを消そうとしますが、まわりからの暖かさに包まれふくらみ何色にでも輝いていく、そんな感じでしょうか。
教室をはじめて10年すぎたとこなんで、やっと夢みていた中学生のいる教室になり、普段から感動も多くもらっていますが、その中の一つに合唱曲ってこんなに素敵な曲がたくさんあるんだ、、と数々の曲に出会えこと、そう思う伴奏のなかにちりばめられたたくさんのこれはー!みたいな部分を見つけては、なるほどー、なんて思いつつ、
難しい〜と思いながらも、あーこうしたいーなどなど、わたし自身とても曲に発見と感動をもらい楽しんでいます。
でも合唱祭で伴奏する子たちの母の気持ちを思うと色んな意味で心臓がいくつあってもたりない気持ちになります😆
伴奏する子がすごくて、とかそういうわけではなく、1人1人のやってみたいに悔しい時も嬉しい時も一緒に成長させてもらい。
忙しくても、ピアノと自分、いい付き合い方をしてくれることをみんなみんなに願っています。